失恋で辛くてたまらないのに誰にも相談できないとき


失恋というのは「大切な存在を失う」ということでもあり、
同時に「大切な存在と共に過ごした時間も心の繋がり」も失ったように感じる、とても辛い出来事です。

パートナーを通して、感じることができた「特別な心模様」があるとしたら、パートナーを失ったときに感じるのは「空虚感」かもしれません。

楽しかった時間も、共に過ごした大切な時間も、同じ気持ちを共有し合ったかけがえのない瞬間も、消えてしまったかのように何もないと悲しみに暮れなければならないかもしれません。

それはとてもという言葉では表せないほどに辛いことのはずです。

だからこそ、一人で背負いきれないほどの辛い感情のケアが大切なわけですが、お別れの仕方によっては誰かに相談することすら惨めになってしまうこともあるかもしれません。

そんな失恋で辛い中、一人で抱えるしかないと思われてる方に向けた記事になります。

目次

傷ついた心は置き去りになりやすい

例えば、お別れの際にパートナーからこちらの心が傷つくことを言われることもあるかもしれません。

・最初の頃はタイプではなかったと言われる。
・容姿のことに関して否定的な言葉をぶつけられる。
・一緒に居た時に不満だったことを最後の最後でぶつけられる。

今まで隠していたことをぶつけられるということは、
楽しかったし嬉しかったと感じていた”思い出”が思い出には感じられなくなることです。

一緒の時間を素晴らしい気持ちで共有できたと思えてたからこそ、思い出であったはずです。

でもぶつけられた言葉に傷つけば傷つくほどに、過去の思い出の一つ一つに移るパートナーの姿は、「こちらに対して否定的な見方をしているパートナー」になります。

それは私たちを失意のドン底に落とさせるほどのショックだったりもします。

「楽しかったのは自分だけで、パートナーはずっとそうではなかったのかもしれない」

そう思うとお別れが苦しいだけではなく、
ずっと自分はパートナーから求められていなかったのかもという思いが抜けず、悲しみを抱え続けなくてはなりません。

一人で感じる悲しみほど、辛いものはない

そしてこのようなケースでお別れをした時、
お別れしたことを中々友人にも話しにくいかもしれません。

お相手と過ごした時間を”素晴らしいもの”だと思っていたのは自分だけだと思えば、
心の中に残るのは「自分だけが楽しかった」という空虚感です。

「自分は勘違いしてしまう人だ」とか「自分は勝手に舞い上がってしまうような人だ」とか。

思い出の中に残る自分の姿を否定的な目でも見てしまいますから、
そんな自分を人に見せることは「とても惨めなことだ」と感じやすくもなります。

だから友人に失恋のことをお話しすることすら居た堪れないような気分になり、
一人で失恋の悲しみを抱え込んでしまうことがあります。

それは失恋や失恋時のお相手の言葉を通して感じた、「自分は魅力的な存在ではないのだ」という自己否定を一人で感じるということです。

大したこともない自己否定などなら未だしも、失恋を通して感じた痛みというのはかなりのもののはずです。

だから気持ちを切り替えるとか、自分の良い部分を見つめなおすとか、好きなことをやる時間を作るとか。

そういうことで簡単には切り替わらないほどの強い自己否定でもあるはずです。

だからすごくすごく辛いはずなんです。
一人ではもう抱えきれないと、毎日から逃げ出したくなるほどの悲しみのはずなんです。

悲しみの一つ一つを丁寧に零れ落ちることなく、寄り添われながら大切にされることが本当はものすごく大切なことなんですよね。

相手の存在が自分に与えていた影響の大きさ

また失恋を通して、私たちは「もうその人とは会えない」といったような悲しみを感じ、

その人と会えない原因は自分にあると思い自己否定感を持つわけですが、
ここで感じる自己否定感というのは、普段の生活に大きな影響を及ぼすほど大きなものでもあるかと思います。

「自分は勘違いをする人間だ」と自分の人間性に否定的な見方をするとしたら、
それはお別れした方との間でのことだけではなく、

友人や職場の人を含めて全ての人に対して「自分は人の好意を勘違いして受け取っているかも」と思いやすくなってしまうかもしれません。

そうすると、
・普段何気なく話していた友人とのやりとりがすごく辛くなる
・異性と業務的な会話をするだけなのに、すごくしんどい思いをする
・何故だか見知らぬ異性に対してイライラすることが増える

などといったことが増えるようになり、
人との関わり合いの場を避けたくなり、人によっては完全に心を閉ざして誰とも関わり合いたくなくなるくらいに辛くなることもあるかもしれません。

でも見方を変えてみると、日常生活に影響を与えるくらいに「自分を否定的に見た」のは何故なのでしょうか。

そこには、その辛さの分だけ相手のことを愛し信じ続けたあなたが居たのではないかなと感じます。

例えば、パートナーとの間で楽しいと感じていた時、あなたはどんな表情をしていたでしょうか。

また、パートナーから愛されていると感じたとき、あなたの心はどんな反応をしたでしょうか。

その時のあなたの表情も心の反応も、パートナー以外の誰との間でも感じ居るものではなく、
またあなたが「ほんのひと時でも心から自分を認められる瞬間」であったのではないかなとも思います。

それは額縁に飾り続けた写真を何気ないひと時に見て「ホッと幸せを感じる」ように、
パートナーとの何気ない思い出の一つ一つも、
同じように「心の中で思い出して幸せを感じる」ものであったのではないかと思います。

それはパートナーとの思い出があなたの支えとなっていたということであり、

同時にその支えは「これからの人生何があろうとも自分を支え続けてくれるもの」と感じ続けるくらいに、
あなたの”人生”にとっての重要なものだったのではないかと思います。

だからこそ私たちが失恋を通して、失うものというのは相手の存在でだけではなく、

これからの未来で待ち受けている苦しみや逆境を共に乗り越えるための支えになると感じていた、安心感や安定感というのも失ってしまうのかもしれません。

そしてその安心感などが無くなった中で未来を考えるとしたら、
そこには誰の支えもなく一人で苦しみに立ち向かう自分の姿しか感じなくなってしまうかもしれません。

それはものすごく絶望的な気持ちにもなるかもしれません。

支えをもらっていた中で頑張ってきた自分を改めて見直してみる

そして失恋を通して深い悲しみを感じ、未来の何をもにも希望が持てないときに大切なのは、
パートナーの支えを持ちながら、何かを頑張ってきた自分を認めていく時間を作ることです。

それは休みの日にパートナーと過ごせる時間を支えにしながら、しんどい仕事を頑張ってきた自分を改めて認めていくということかもしれません。

またパートナーが自分を承認してくれた言葉を通して、自分に自信が持ててたことで始めた、趣味活動にチャレンジした自分を認めることかもしれません。

パートナーの何かしらの影響を通して、成長することができた自分というのは必ず居ます。

でも自分の成長には、相手の存在が間接的にも関わっていることをどこかで私たちは分かっているからこそ、
その自分の成長を見つめることは、失った相手の存在の大きさを感じることのように思え、

成長してきた自分を見つめるよりも、相手を失った原因を見つめてしまうのかもしれません。

だからこそ、相手の存在が与えてくれた影響に感謝することと、同時に頑張った自分を認めることをやっていくことが大切になります。

相手の存在に感謝していくということは、相手が与えてくれた影響を相手を落とすことも自分を下げることもなく、あるがままに認めるということです。

それは物理的にお相手との距離が離れていたとしても、心の中でその相手がくれた支えをいつでも思い出して、力をもらう許可を自分に出すことかもしれません。

そして心から感謝ができるようになると、お相手が近くに居ようが居まいが、執着することなくお相手との心の繋がりを感じていくことができます。

それはお相手が自分に対してどう思っていたかどうかに拘ることよりも、
お相手がくれた支えに感謝し続け、お相手の魅力を見続ける自分として生きていくことを選ぶことかもしれません。

でも相手に感謝するだけだと、自分の気持ちが置き去りになってしまう。

相手を好きで好きでたまらなかった思いも、相手に愛されたくて溜まらなかった思いも、
お別れの後には悲しみという感情に変わってしまうことも多いかと思います。

この人が居たからこそ笑顔になれた時間も。
この人の存在を支えにできたからこそ頑張れた自分も。
この人との心の繋がりを感じていたからこそ、勇気を出して新たなことにチャレンジできた自分も。

安心できた時間も心穏やかに過ごせた自分も置き去りになってしまうわけです。

だからこそ、お相手の存在の大きさに感謝しながらも、相手の支えを通して頑張った自分や、相手が居たからこそ表現でできた自分や味わえた時間。

その一つ一つに居る自分を認めていくことも大切です。

それができて初めて、自分がなぜこれほどまでに悲しい思いをしているのか。

ここまでふさぎ込みたくなるほど辛い日々を過ごしているのか。

どれほどまでに相手のことを好いていて求めていたのかということを感じながら、
悲しみの理由に気づいていくプロセスがそこにはあります。

自分がどれほどまでに相手を好きだったのかを、ただただあるがままに感じるということが、
失恋を通して感じた悲しみや喪失感を受け入れていくということでもあります。

最後に

お相手をどれだけ好きだったかに心から気づくというのは、自分の心の中の「誰かを愛する気持ち」を取り戻すということであります。

失恋を通して心が悲しみを感じているとき、私たちの中にある「誰かを心から愛する気持ち」も冷凍保存されているような状態でもあります。

だからこそ、次の恋に進みにくくもなるし、日常の中でも何かを意欲的に取り組むことも、頑張ることもしにくくなってしまいます。

自分の中の「誰かを愛する気持ち」を取り戻すというのは、何かに対して情熱的になる自分を取り戻すことであります。

パートナーだけではなく、仕事や趣味に恋をして、直向きに自分のハートを情熱的に注いでいく毎日を過ごすことかもしれません。

自分の「誰かを愛する気持ち」を取り戻していくと、世界が広がります。

既存のことにも新しい何かに対しても、違った自分で臨める日々がそこにはあります。

そしてもしよければ、失恋を通して辛い時ほど、お気軽にカウンセリングをご利用くださいね。

感じてきた悲しみも辛さも苦しみも一緒に感じていきながら、失恋から立ち直り、新しい恋に進むまでのプロセスをサポートさせていただけたらなと思います。

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