トラウマとの向き合い方。心の痛みを抱えた状態から立て直しを図るために。

トラウマとは「過去の傷ついた体験」とも言えますが、
同時に意識的に処理できないほどの辛かった体験とも言えます。

ですから虐待やいじめといった深刻な体験のみではなく、
意識的に処理できない程の辛い感情感じる体験をしているとしたら、
それはトラウマ(心的外傷)と呼ばれる程に丁寧に大切に扱われて良い傷つきであるはずです。

ではこの心の傷つきを伴うトラウマと私たちはどう向き合うと良いのでしょうか。

目次

トラウマを思い出してしまうのは何故なのか

トラウマとは心の中で感情と体験が切り離されている状態を指します。

例えばいじめや虐待といった体験は心に物凄い「負荷」をかける体験なわけですが、
その体験の苦しみや悲しみといった感情はあまりに辛すぎて意識の中で処理をしきれないものです。

そうするとその体験とその当時の感情が心の中で切り離されるわけです。
切り離された感情は心の中の潜在意識や無意識といった奥底の領域にしまいこまれます。

でも仕舞い込まれただけで無くならないといった特徴があります。
あくまで心の防衛のために感情が心の奥にしまいこまれるのです。

ですが心の奥にしまいこんだ体験や感情が時折意識できる領域に浮かび上がってくることがあります。

属にいうフラッシュバックという心の状態です。

そしてこのフラッシュバックという現象は見境もなく様々な時間に起きることがあります。

基本的に無意識の領域は意識的に「何もやることがない」「何かしなければならないことがない」といった風に意識が「無」に近い状態の時に浮かび上がってくるものです。

例えば何も考えていないであろう睡眠を取っているとき。
または瞑想などで意識的に心を無にしていくなんて状態ですね。

夢の世界も無意識の心の現れと言われますが、意識が何にも囚われない状態の時に心の無意識とは意識に浮かび上がってきます。

だから基本的にはトラウマ体験やその当時の感情というのは意識に浮かび上がってくることはないわけです。

しかしトラウマと言われるような体験をしたとき「現実と過去の境目が付かなくなる」ことがあります。

それはトラウマ体験と今の現実の完全な切り離しができていないので、心はまた同じ現実を体験してしまうかのように感じてしまうのです。

それは状況が整理できていない状態でもあります。

見方を変えると虐待やいじめといった体験や震災のような天災が、自分が原因で起きたのか。または自分が原因でなく起きたのか。
ここの区別ができていない状態でもあります。

しかしトラウマとなるような体験はあまりに心に負荷をかけるものです。
心の中で区別がはっきりできない程辛い体験でもあるわけです。

だから区別がはっきりと出来ず、フラッシュバックが起きてしまうのも無理はないのですよね。

このフラッシュバックが起きる度合いはトラウマと呼ばれるような体験をした時、自分がどのような態度を取ったのかが影響するとも言われています。

例えばいじめを体験した時、ただ耐えていたのか。それとも言い返したのか。

または地震が起きた後に人と交流ができたか。それとも一人で家に身を潜めるしかなかったのか。

脅威となるような体験に対して自分が恐れることを選んだのか、立ち向かうことを選んだのか。

それによって自分自身が自分をどう評価するのかが変わるので、トラウマとなるような体験に対する見方も変わってくるんですよね。

例えばそれは自分が状況を乗り越える人なのか、怖がって解決を避けてしまう人なのかの評価が変わるということでもあります。

例えば怖がって自分は状況を解決できないと自分を評価するしかなかったとすると、トラウマ体験のフラッシュバックが出てきやすいこともあります。

でもこういった見境がないフラッシュバックの時には同時に心が状況の整理を求めている時でもあります。

もちろん意識的には物凄く恐怖や怖さを感じるものなんですよね。
また同じことを体験するのではないか。また同じ目に合うのではないかといった怖さです。

それが心の無気力さや引きこもりといった意欲の大きな低下に繋がることがあります。

だからこの場合はまずは休むことが大切なんですよね。

また過去と今の状況の整理を少しでも進めるために「今出来ることをやる」のが大切です。
例えばあまりに身動きを取れないなら三日に一度にお風呂に入る。歯を磨く。
三日に一度が難しいなら五日に一度や七日に一度でも良い。

別にそれは歯磨きやお風呂といったものだけに拘らず、できることを少しずつできる範囲でやることです。

七日中ほぼ七日何もせず寝ていても良いので、ちょっと余裕があるときに何か「できる」ことをやることです。

心の癒しのプロセスとして認知行動療法というものがあります。

これはまた酷い目に遭うと恐れおののいている心に対して、
「じゃあこの何日間そういう体験はしましたか?」とか
「歯を磨いたりお風呂に入ったときに過去のすごく辛い体験がまた起きましたか」とか。

今現在の状況と過去の状況の違いを意識的に理解していくことで、
過去のトラウマを体験しない状況や環境があることを意識的に知っていくやり方です。

最初はほんの小さなことからですが、徐々にトラウマが起きない状況に対する認知を広めていきます。

「少しずつ外に出てみる」「ちょっと勇気が出たら誰かと共に外に出ていく」

自分のペースで行動範囲が広がると安全だと感じる場が増えていくので、フラッシュバックも起きにくくなっていくんですよね。

またそれとは異なる形で何年もしてからフラッシュバックが起きるようになることもあります。

先程無意識は心が「無に近い状態」で意識に浮かび上がると書きましたが、
逆説的に言うと時間を予定や行動で埋め尽くしていると無意識の感情は意識に浮かび上がりにくいわけです。

それは忙しさというのもそうですね。

ですが心の体力が限界を迎えたとか。
疲れることが増えて行動できる量が減ったとか。
行動量が減ったときにフラッシュバックが起きるようになることがあります。

どこか傷つくような体験をしても泣いている暇や休んでいる暇もないくらい頑張るしかない状況に居られた方の場合、

相当な量の頑張りで「過去の傷つきや辛さ」を無かったことにできてしまうんですよね。

でも誰しも人間ですから心が弱ってしまうことはあります。

心が弱り自分の行動を支える強さを見失ってしまったときに、過去のトラウマがフラッシュバックしてくることがあるんですよね。

これはフラッシュバックに対する一つの見方でもありますが、過去の傷つきは心の癒しを求めて浮かび上がるというものがあります。

それは心が過去と今との再統合を求めているとも言えます。

それは虐待やいじめといった体験を通して「失われたと感じた自分の一部」を再び自分の中で見つけ出すということでもあります。

例えば幼い頃に虐待が日常的なものであったとしたら、心や存在の拠り所となる場所や他者の存在がない状態ですから、存在に対する否定感を常に抱えるかもしれません。

それは「死にたい」と感じるよりも「消えたい」と感じる世界ですね。

そこではフラッシュバックというのは自分の存在の証明を求めていて、過去の自分の存在が消えたと感じた体験が浮かび上がってくるとも言えます。

また過去に集団で無視されるなどをして「孤立」した体験をしたとしたら、そこでは様々な見方ができますが、
自分の感覚や言語が泡のように消えていく虚無感と隣り合わせになるかもしれません。

他者との交わりがある分存在の証明はありますが、自分と他者や社会との結びつき皆無な感覚な死にたいと感じやすい世界ですね。

そこではフラッシュバックというのは
「自分は人や社会に必要とされているのか」また
「自分は社会において生きる意味はあるのか」など

社会の中での自分の価値や意味合いを求めるために浮かぶこともありますから、自分に対する承認や肯定を求めているとも言えます。

トラウマの克服方法とは

では実際にトラウマと呼ばれるような体験はどう克服すると良いのでしょうか。

まず大切なのは状況の整理です。それは過去と今の切り離しですね。
同時にそれは今の現実に安全と安心を増やすことです。

心が解離している状態においては感情の境目がなくなります。

過去の感情を感じているはずなのに、今その場で感情を「体験」しているかのように錯覚しやすいのです。

それは心が過去と今とで混同している状態でもあるので、時間の明確な区切りがなくなるんですよね。

また妄想と現実との境目もなくなるので、未来を描きにくくなります。

トラウマと呼ばれる体験を克服するのに何より大切なのは「徐々に未来を描く」ことです。
それは見方を変えると「自分の世界観を広げる」ということなんですよね。

先ほどトラウマとなる体験をした時の自分の態度や行動が、トラウマ体験をした自分に対する評価を決めると言いました。

これは見方を変えると
「物凄く酷い体験をした自分は幸せになれない。成功できない。」
「むしろまた酷い目に遭うに決まっている」と自分を評価している状態です。

自分自身に対する評価は自分自身の見方への制限を作ります。

例えば自分は幸せになれないと思うならば、自分の心を幸せにしてくれるものを探そうとは思わないはずです。

これと同じように「また酷い目に遭う」と自分自身を評価しているとしたら、自分を守ってくれる存在や自分が保護される居場所があるとは中々考えにくくなります。

これ認知行動療法の説明のとこでも書きましたが、安全な場所に対する認知を増やしていくことで、トラウマ体験をする場は限定的であることを理解していくことがトラウマ体験の克服に大切なのです。

でも今と過去の境目が付かず、また過去の延長線上が今と未来だと思うとしたら、
過去のトラウマ体験の認知を変える体験を今の現実で積み重ねられないんですよね。

だからトラウマは依然としてトラウマであり続けてしまうわけです。

よく過去の痛みや感じ切ると良いとも言われますが、これは過去と今との切り離しができている土台があってのものです。

過去の感情は過去のものであると認知できて、かつもうその感情を味わない安全を現在で確保できているからこそ、感情は感じ切ることができます。

勿論トラウマの克服において過去のトラウマ体験においての感情を感じ切るプロセスは必要なものです。

ですがその前に現在においての安全や安心の確保が必須になってくるかと思います。

例えば虐待を通して「消えたい」と思ってきたとしたら、自分が「消えることがない」と感じる場やそう思ってくれる人との結びつきが大切になります。

それは肉体は例え死んだとしても心の繋がりは無くならないことを体感的に感じることや、
何かを後世に残していくという意識へと人生全体をシフトすることかもしれません。

自分の存在の確保が「消えたい」と感じた体験や感情の癒しへと繋がるわけです。

もちろんこれはトラウマ克服のゴールをどこに置くかにもよってきます。

例えば虐待やいじめといった「傷や自己の喪失が深い体験」に関しては生き方やあり方そのものを全面的に180度変える必要があるかもしれません。

「自分の産まれてきた意味や理由を問い直す」ことや「何故自分は生きているのかを知っていく」プロセスを辿るかもしれません。

ですが心は生きることへの「無意味感」で埋め尽くされますから、
自分の存在に対する問いの答えを見つけるのが砂漠の中で一本の針を見つける困難さを伴います。

だからこそトラウマの克服をお一人でやるのではなく、専門的な知識を持った心理士やカウンセラーを頼ることが大切です。

また過去の失恋があまりに悲惨で心がズタボロ。その場合体験したことが「社会的に受け入れられやすいのかどうか」といったことによっても癒しのプロセスは変わります。

DVや特に暴力を伴う場合、まだまだ社会的に認知されにくいという現状があります。

これは別の話になりますが性被害に遭われた方に関してもそうかもしれません。

あまりに痛みが辛くてそれを誰かに話したら否定されて益々傷ついてしまうこともあります。

またそもそもで世間の批判的な声を目にすることで、誰にも打ち明けず隠し続けることもあるはずです。

体験した痛みが深いものであるとしたら何より癒しと救いが必要なのに、シビアに繊細に打ち明けるかどうかを決めないといけないという社会の現状があります。

ですが逆説的に「受け入れ受け止めてくれる存在」が見つかったとしたらトラウマの克服は加速していきます。

それくらい自分の感情を受け止めてくれる人が居るかどうかは心の癒しに大きな違いをもたらします。話をすることで過去と今の違いも区別できやすくなりますしね。

今回の記事ではフラッシュバックについてやトラウマの克服についてを書かせていただきました。
良ければご参考にしてくださいね。

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