殺意を抑えるにはどうすればいいの。殺意と創造性は表裏という視点が鍵。

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殺意という言葉を聞くと誰しもが恐ろしいイメージを描くかと思います。

出来るならば人生の中で自分の中からも出てきて欲しくもないし、

当然殺意を持ち合わせるような人とは決して会いたくないと思うのが誰しもの本音であるかと思います。

しかし望まない思いと反して、
自分の心から殺意が溢れてくる出来事に見舞われることもあるかもしれません。

心の中から殺意が溢れてくるときというのは
かなり状況が切迫しているときです。

例えば、我慢ならないようなことが毎日起きている。
また耐え難いような仕打ちを強いられる環境にあるなど。

自分の意志とは反して何か耐え難い目にあっているという現状が殺意を感じるきっかけとなっていることはとても多くあります。

しかし殺意を心の中で感じるときというのはとてもストレスフルな状態です。

当然毎日のように、心が潰れるような思いや
強く摩耗するような思いを感じるわけですから
心は日に日に悲鳴を上げ壊れそうにすらなるかもしれません。

殺意を感じる状況とはそれほどまでに私達の心を追い詰めるわけですが、
だからこそ逆説的に殺意という感情が必要という見方もできます。

殺意とは今ある状況の全てを否定したいという思いです。
殺意を別の言葉で例えると、潰したい。壊したい。終わらせたい。

どれも恐ろしい言葉ですが、殺意とは今ある耐え難い状況の全てを終わらせたいという切なる願いでもあります。

しかし殆どの人が殺意を感じるような状況になってもその殺意は隠します。
というよりは殺意を抱えるのが表現として正確かもしれません。

それは当然のことではありますが、しかし殺意を隠すということは今ある現状の全てを否定する思いも隠すことでもあります。

つまり抑圧された殺意の奥には耐え難い状況を物凄い強さで耐え続けた我慢と忍耐が隠れているのです。

だとしたら毎日は張り詰め、どこに行くにも心は緊張していて、心の安らぎを感じる場所はどこにもなかったかもしれません。

殺意という感情はやるかやられるかという世界でもあるので、
ポジティブな感情が日常に挟み込む余地がないくらいにしんどい毎日に繋がるものです。

だからこそ殺意を心の中に抱える時、
人はそこで自分の死を望むことがあります。

状況を壊せないなら自分が壊れるしかない。
そう思うしかないくらい状況があまりに切迫し過ぎているのです。

ではだとしたら自分も誰かも状況も壊すことなく、殺意を安全に開放していくにはどうしたら良いのでしょうか。

目次

殺意と創造性は表と裏の関係性。

先に理論の説明をできたらなと思いますが、殺意と創造性は表と裏の関係性にあります。
いきなり何のこっちゃという話かもしれません。

例えば今でこそありませんが、
革命は民衆の不満を元にして今ある国の体制を壊そうとする働きです。

だから革命の動きの奥には当然殺意的な感情が含まれているわけですが、
勝てば官軍負ければ賊軍的な働きが革命にはありますよね。

革命が成功すれば国の改革を行い、現状の望まない体制を壊して新たな体制を作り上げていくわけです。
破壊と再生の働きがここにはあるわけです。

しかし現代で昔のように破壊と再生を試みれるわけがありません。
それも当然の話ですが殺意を誰かに向ける事は決して許されることではありません。

だとすると壊して作り上げる。
破壊して新しいものにしていく。

言わばリサイクルような働きを殺意を感じる状況において出来なくなったというのが現代であり、
それは同時に平和だからということなので寧ろ望ましいことではあります。

しかしその反面殺意的な感情の行き場がなくなり、
何かを壊すではなく自分が壊れる方向に殺意を向けざるを得ないというのが
現代的な大きな悩みでもあるのかもしれません。

殺意も含めて感情とは扱い方が定まれば抑える必要はなくなります。
殺意的な感情だと誰かを愛したい守りたいとは真反対で、
傷つける衝動性があるからこそ扱いにくいのです。

ただ現代が平和だからこそ、安全に自分の殺意を扱うことができるとも言えます。

カウンセリングではどのように殺意を減らしていくのか

もちろん殺意の取り扱い方はケースバイケースなので大まかな流れになります。

先程も書いたように殺意とは破壊のエネルギーでもあり、再生と創造のエネルギーでもあります。

再生と創造とは状況を新たに作り上げること。
全く別のものにしてしまうもの。

例をあげれば、毎日のように怒鳴り散らしていた両親が優しい人間になる。
倒産寸前の会社が立て直すことに成功し業績がうなぎ上りになる。

ある意味どうにもならないと思っていた状況に対するヒントや抜け道が、
殺意と表裏の創造のエネルギーにはあるわけです。

状況に対する解決のインスピレーションが降りてくるとも言えるかもしれません。

そのため、カウンセリングでは殺意を持たれているということは、
今ある嫌な状況を全く異なる状況に変えるだけのお力を持たれているという見方をします。

つまり殺意を抑えるというよりは殺意程大きなエネルギーは、自分の人生を更に良くするために使っていきましょうよということでもあります。

ただそう言われてもピンとは来ない部分ですけどね。
殺意を感じる状況に居るとき、意識的には状況を壊したい、終わらせたいと感じることのが多いものですから。

なので端的に言えばこの創造の才能がある部分を伸ばして、
現実的に使えるようにしていくという進め方をするのですが、

先ほども言ったようにそもそもでその才能がピンと来ない問題が付き纏います。

ピンと来ないのは当然の話で、殺意を抱く状況には耐え難い我慢や地獄のような日々がありますから、自分の才能があるとかどうでも良いと普通は思うわけです。

そのためまずは殺意を減らしていくわけですが、殺意と我慢がセットになっているので我慢の部分も同時に減らしていく必要があります。

ただ当たり前ですがどちらも簡単には減らないのです。

仮にですけど状況や相手を潰せたとしたら、
今我慢している自分も過去我慢していた自分も全部が救われたような思いができますから。

過去の我慢と我慢していた時の惨めさを取り返せたと思うまでは、
殺意的な感情は完全に手放すことができないわけです。

だから一旦殺意で相手や状況を潰しきる必要があるのです。
現実的にではないですよ。イメージの世界でのお話です。

ただここに一つ問題があって、この問題が殺意の感情の取り扱い方がナイーブになりがちなとこなのですが、イメージで下手に殺意の感情が開くと殺意が抑えられなくなるのです。
これはもう大問題なので取り扱いはかなり繊細にやる必要があります。

じゃあどうしたら良いかというと、自己価値を見ることと並行する必要があります。

でもここにも問題があって、そもそもで殺意に溢れているときに自分の才能とか自己価値とかどうでも良いと感じるものです。

自己価値を見るというのは、自分は誰かの役に立てる部分があることを信頼することなので、
この自己信頼が殺意の感情を解放した時のストッパーにはなってくれるのです。

本来はこの自己価値を見れている幅に応じて、
殺意の感情を解放していくわけなんですね。

バランスを上手に見ながら殺意の解放を行っていきます。
この進め方は今殺意を感じさせる人や状況から離れているなら有効かなと感じます。

しかし今まさに殺意を感じている状況にある時は、まあ今その状況に居られる方からしたら当たり前な話ですが、これだと上手くいかないんですよね。

その場合はとにかく共感を大切にさせていただきます。

今ある殺意の感情やそれをどのくらい持ち合わせてきたのかどうか。
また殺意を持つ日々がどれくらい苦しいものであったのか。
一つ一つ丁寧に共感させていただきます。

今まさに殺意を感じる状況にある方からすると、共感なんて何も意味がないし無駄だしどうでも良い。それよりこの状況を変えてくれと思われるのは当然ですが、

殺意程の苦しみをお一人で抱えてこられたのに、
これ以上お一人で抱え込ませたくないという個人的な思いがあります。

何においても殺意を減らし才能に変えていくためには、絶対的な味方だと感じる安心できる場所が大前提必要なのです。

言葉としてはありきたりでまるで絵に描いた餅のようにも感じますが、僕はその安心できる場所を作ることに死力を尽くして共感していきます。
それ無くして今後の癒しのプロセスが成り立っていかないと思うからです。

今回書かせていただいた殺意の減らし方は概要的なもので本当に大まかな形です。

これ僕の感じ方もありますが現代的な殺意ってかなり角が取れやすくなっているのです。
日本が平和な時代なので殺意は感じても抑えるが無意識に沁みついている。

殺意が直ぐに行動に繋がりにくい時代な分だけ、扱いやすいとも言えます。
まあ自分の中に殺意があるときは全くそうは感じないんですけどね。

もしよろしければカウンセリングもご活用くださいね。

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