例えば、一般的に言えば浮気や不倫というのは罰せられる対象として見られることもあるかもしれませんが、
カウンセリングの現場では違う目線をすることがあります。
それはその人がそうせざるを得ないくらいの我慢の日々はなかったかという見方を僕であればすることがあります。
でも浮気や不倫をしてしまっているときというのは、どこかでパートナーに対する罪悪感をとても多くもっているものですが、
だからこそ「自分の我慢に目を向けること」も「自分の優しさに目を向ける」こともしてはならないように感じるかもしれません。
自分に対する理解の目や優しさの目を持てないということが、更に心を追い詰めることとなり、
抜け出せないような辛さに繋がることもあるわけですが、
そもそもで自分をそこまで追い込みざるを得ないような不倫や浮気という選択をしてしまうのは何故なのでしょうか。
愛情深さという視点から見ていく
例えば心理学では不足原則という言葉がありますが、浮気や不倫の奥にはこの不足原則が関係しているとも言われています。
パートナーから得られない要素を浮気相手から得ようとする心の働きです。
例えば
・パートナーがあまり愛情表現をしてくれず寂しくて、熱烈にアプローチしてくれた人に惹かれる
・どれだけ愛してもパートナーの反応が薄く、すごく求めてくれた異性に惹かれる
などが一例になります。
浮気や不倫の心理の奥には様々な満たされない感情が隠されているわけですが、
今回は深い愛情がパートナーに伝わらず大きな寂しさを抱えていたのではないかという視点から見ていきたいと思います。
例えば愛情深さが根本にある場合の例だとすると、あなたは愛情深いだけではなくとても力強く人を愛せるパワーを持っているものなので、
パートナーのことも歴代の彼や今の不倫相手(浮気相手)のことも深く深く愛そうとしていることがあります。
例えば、
・こちらからパートナーに愛情表現をしても相手の反応は薄いし、相手から愛した分の愛情が返ってくることは殆どないけど、
それでも「毎日のようにどうやったらパートナーの役に立てるのか」を考えている。
・パートナーから辛辣な言葉、時には傷つくような言葉を言われることもあるけども、
どこかで「その人の本当の魅力を知っているのは私だけ」とパートナーの魅力を自然に見ている自分が居る。
・パートナーとの関係性の中で、寂しさを抱えることが多いのだけど、それを伝えることはあまりなく、
どちらかというと我慢しながら「彼は忙しんだよね」「彼も今頑張っているよね」と自分のことよりも相手を気遣い続けられる優しさがある。
などなど、報われないことや傷つくことや我慢せざるを得ないことがあっても、
それでもパートナーを思い続け、愛し続けられるというのが愛情深い方の特徴かもしれません。
でも同時にご本人はご自身の愛情深さに気付けることは少なく、
逆に失敗感や無力感や悲しみという感情を感じてしまうことの方が多いかもしれません。
・すごく疲れているパートナーに少しでも安心してほしくて、「声掛けに気を配ったり」「料理やお部屋の雰囲気に拘る」などしたけども、パートナーは何にも気づいてくれない。
そればかりか、仕事のストレスから文句や不満を言ってくることが多く、私の心の中には虚しさと失敗感だけが残る。
・パートナーに辛辣なことを言われ傷つくけども、そんな心の傷つきにパートナーは気付いてくれることもないし、
こちらの存在を肯定するような言葉も承認するような言葉かけもなく、
大切にされてないかもしれないという痛みだけが増えていく毎日を過ごしている。
・寂しさを我慢してパートナーのことを理解することに努めても、私の心の中の「彼を求める寂しさ」まで彼が触れてくれるわけでもない。
段々と自分の気持ちを我慢して彼を理解することに疲れやしんどさを感じ続けるようになる。
などなどです。
本当はもっともっとパートナーを深く愛し理解したいし、愛し続けたいと思う程の大きな愛情を持たれていたとしても、
愛した先にある結果が報われないことばかりだとしたら、
段々と愛すること自体に疲れたり、しんどくなってしまうこともあるはずです。
相手が誰であろうと差し向ける愛情は同じではなかったか
またそうしたように自分の感情よりも、パートナーのことを思える愛情深さを持たれている方の場合、浮気相手や不倫相手に対しても似たような形で相手を思い続けることがあります。
・段々と不倫相手と連絡を取る頻度が減ってきて距離ができた分だけ、私は「寂しい」けどもそれを強くは伝えず、
相手の気持ちを尊重し続ける態度を持ち続ける。
・浮気相手の態度がどんどん辛辣なものになってきて、傷つくことも増えてきたけど、
こちらから強く怒るとか辛辣な態度をすることはなく、自分を責めながら相手を理解することに努める。
これは一例でもありますが、相手が変わっても尊重の仕方、理解する強さ、繊細に気遣うやさしさは変わらないことがあります。
例えばこんなことを思われたりはしませんか?
・自分だけが幸せになるのも得をするのも悪いことのように感じるし、自分だけが幸せになるくらいなら幸せを感じない方のが良いのかもしれない
・最悪自分だけが傷つく結果になるのはしょうがないとは思うけど、
自分のした選択がパートナーや不倫相手のことを傷つける結果になるのだけは何としても避けたい。
・パートナーにも不倫相手にも幸せになって欲しいとは思うけど、
でもそれを自分が願うのは間違いのように感じるし、場違いのような願いにすら思う。
本当に目の前の人を深く思える愛情深い方程、自分の存在を消すような形でも相手のことを思おうとすることがあるわけです。
それは切ないという以上に、とても僕個人としても悲しいことだなとも思います。
でも逆説的に言えば、自分の存在や自分の幸せを決してでも相手を思える強さや愛情深さを持たれているということでもあり、
同時にそれは自分が死ぬほど傷つくことよりも、目の前の誰かが幸せであることをを願う深い愛を持たれているのだと思います。
愛情深い人が誰も愛せない環境に身を置くことほどの地獄はない
ここまで深く愛情深い方であるとしたら、浮気や不倫という場所に自分を置くことが、
一番自分を傷つけ苦しめることに繋がることが、とても多いように思います。
根本には誰のことも傷つけたくはないし、自分よりも相手の幸せを願う気持ちがあるわけですから、
不倫というどちらかを何れ傷つけてしまう可能性のある恋に身を置くというのは、
自分が一番したくないはずの「誰かを傷つけることをしている」と感じ続ける毎日になってしまいます。
だからどうして不倫をしてしまったのかと強くご自分を責められながら、
決して自分に対する理解の目や優しさの目を差し向ける発想すら持てないことも、とても多くあるのではないかと思います。
カウンセリングの現場ではこのケースの場合、
何故そこまで人を愛したい人が人を愛せないばかりか、人を傷つけてしまう境遇に身を置いてしまうのかという目線で見ていきます。
それはその人が「自分は誰も愛せないばかりか、大切な人を傷つけてしまうんだ」と感じる、
とても愛情深い人が一番苦しむ状態に自分を追い込んでないかという視点です。
このケースの場合、着目していくのはパートナーとの関係性か元恋人との関係性か両親との関係性を見ていくわけですが、
その中でも「大きな挫折感や失敗感」に僕の場合は重点的に着目します。
それは全てを賭けて愛そうとした人が居て、その人に本当に幸せに生きていて欲しいと思いながら愛してきたけども、
「全てが無駄だった」「意味がなかった」と感じ、
自分の愛など何も役には立たないし、何にも相手のためにならないのだと感じるほどの、無力感や失敗感を感じてこられなかったかという視点です。
それほどまでに「自分の愛情が何にも意味もなく、自分の存在が必要とされることがないのならば、誰も愛せなくなるような地獄の毎日になってしまっても仕方がないだろう」と思う程に、
ご自身を罰する思いを持ってしまうことがあります。
もちろんこれは一つの見方に過ぎないですが、
このケースの場合に大切なのは、あなたの愛情深さをあなた自身が認めていくことです。
それは不倫相手やパートナーにこんな風に生きていってほしい、と願う気持ちが私の中にあることを知ることや、
そのためになら、自分が傷ついても構わないし、幸せでなくとも構わないと多少なりとも思える自分に気付くことでもありますし、
どれだけ自分が相手を愛するための行いをしていたかを見ていくことでもあります。
そしてできれば、それを一番愛しやすかった相手との関係性からまずは見ていくことが大切です。
心の中では愛せなかったという無力感や、自分が愛情深い人なわけがないと思う失敗感をとても強く感じていることが多いので、
一番自分の愛情深さを受け取ってくれたと思う相手から、ご自身の影響力を認めていくことが大切になります。
少しでも今不倫や浮気などを通してご自身を責めざるを得ない方が、ご自身の本当の愛情深さを思い出すきっかけになりますように。