(殺意程の怒りを癒した僕の過程の動画です↑)
私たちは人生の中で言葉にできないような悲劇を体験することがあるかもしれません。
・幼いころに親からの虐待が日常的だった。
・信頼し合っていると思っていたパートナーが浮気をしていたことを知った。
・職場で自分は何もしていないのに理不尽なパワハラを受けてきた。
そういった体験の全ての特徴は自分が悪いことをしていないということだと思います。
でもにも関わらずです。
そんな心のトラウマになるような体験をすると、された当時ももちろん辛いです。
ですがそれ以上にその体験から解放された後の人生の方がもっと辛いかもしれません。
傷ついた心を抱えながら生きるというのはずっと心の中にあの時の傷つきを抱え続けることです。
だからこそ意識が心の痛みに囚われやすくなり、日常的な生活にも影響が及ぶことさえあります。
例えば
・お仕事で指示されたことがあっても指示通りにやれない。
・目の前のことに集中したくても気が逸れていってしまう。
・突然無気力さが襲ってきて身動きが取れなくなることがある。
心に過去の強い痛みを抱え続けているとしたら、心は過去に縛られている状態です。
だから今ある目の前のことに集中しにくくなってしまいます。
そうして今目の前のことも満足にできない自分を知るたびに人生の絶望が深くなり、
絶望すればするほどに激しい殺意が湧いてくることがあります。
誰だって自分の殺意を知りたくはない
「もう自分の人生はお先真っ暗。」
「今から何を始めて何に取り組むことをしたとしても無駄でしかない。未来が暗闇なのは決まりきっている。」
自分のこれからの人生に訪れるものが悲観や暗闇しかないと思えば、今の自分や過去の自分を責めたくなるかもしれません。
あの時こんな失敗をしてしまったから。
あの時自分が勇気を出せなかったからとか。
でも自分を責めてもどうにもならないときもあります。
結局自分をどれだけ責めたとしても何も解決しないのだと益々現実に悲観することがあります。
そうすると不意に殺意程の怒りが湧くこともあるかもしれません。
それは殺意であると同時に自分が死ぬほど憎い気持ち。人生をのものを壊したい気持ち。
破壊衝動に似たような気持ちを感じるかもしれません。
でも殺意が湧くときってもうどうにもならなくなってからだったりします。
心に過去の痛みを抱えながらも日々自分なりに一生懸命頑張ってきた。
歯を食いしばって心もボロボロになってそれでもなんとか希望を見て進んできた。
それでも現実は思い描いた通りにはならずどうにもならなくなったとき。
私たちはもう人に殺意を抱くくらいの怒りを感じるしかなくなるくらい追い込まれてしまうものです。
心理学では怒りは助けを求める声とも言われますが、怒りの幅と絶望の幅は比例します。
自分ではもうどうすることもできない絶望の深さが
殺意が湧くほどの恨みつらみを作り出します。
殺意を抱え続けるというのは心を疲弊させていくものです。
殺意を心の中に宿し続けるというのはもとっても辛いものなんです。
だから殺意が湧いてきたときほど自分が深く傷ついてきたからこそ、
これだけの殺意が湧いたのだと自分にやさしい目を向けることが本当は大切なのです。
殺意が湧いた自分を許す心を持っていい
でも特に殺意が湧いてきたときってそんな自分を許せなくなるものです。
例えば、殺人事件のような恐ろしい事件をニュースで見たときに、殺意が湧いたことがあるというだけで自分も同じことをしてしまうのではないかと自分を強く責めてしまい、
自分は誰にも許されないほどの罪深い人間なのだと思ってしまうこともあります。
また、殺意が湧いたということを誰かに話すのははばかられますから
自分みたいな人に殺意が湧いてしまう人間は、
他の人と関わってはならないと孤立を深めることもあります。
時には殺意が湧いたという一点から、ここまで罪深い人間は楽しみにふけることや好きなことを満喫する人生を選んではならないと、
自分で自分を更に底なしの絶望に突き落とそうとすることもあります。
でもあなたの心に殺意が湧いたのはそれほど辛い体験をされたからだと思います。
だから大切なのは殺意が湧いた自分にやさしさを向けることです。
それは確かに勇気のいることです。あまり気が進まないことでもあるかもしれません。
でも過去あれだけ心が深く傷つくような体験がなかったとしたら、殺意が湧くということもなかったのではないでしょうか。
だからこそ、殺意が湧いた自分を責めるのではなく労わる心を持ってみて欲しいなと思います。
「こんなに人に殺意が湧いたのは本当に自分が辛い体験をしてきたからだよね。」
「あれだけ酷い目にあったのにここまでずっと自分は頑張ってきた。だから人に殺意が湧いて自分が居ても良いよね」
そんな風に自分に労わりの目を持っていただけたらなと思います。
殺意が傷つきから溢れ出るものだとしたら、自分自身への優しさが殺意を減らすのに大切です。
でも労わりの目を自分に持つと同時に、だとしたら自分を傷つけてきたあいつにも同じ以上の苦しみを味わせてやりたいという復讐心が出てくるかもしれません。
それは強い衝動性のある復讐心かもしれません。
でもそこでこそ必要な視点があります。
それは殺意が湧くほどの怒りを自分の人生のバネにするという視点です。
怒りは心理学ではやる気の感情とも言われます。
ラグビーの円陣やスポーツの世界においての闘将なんて言葉があるように、
怒りのエネルギーは自らを鼓舞するために使える側面があります。
でも殺意って一見ものすごく怖いものです。
だからこの殺意の扱い方が分からず、
殺意が湧いた自分を責め続けるなんてことも起きやすいのです。
そうして殺意が湧く原因となった心の痛みも隠されていきます。
そうして一生心の痛みを抱えたまま亡くなられてしまうなんてこともあるのではないかと思います。
でも殺意の安全な扱い方って確かに存在します。
それは大きなビジョンを持つこと。
世の中や社会を変えるほどの思いです。
殺意が湧いた経験のある方なら、
一度は世の中がこうなれば良いのになあとか。
自分に力があれば世の中をこんな風にできるのになあとか。
思われたこともあるのではないかと思います。
これは僕自身の感覚で恐縮ですが、殺意程の怒りは世の中を変えたいくらいの思いを持って初めて親和性が取れるなと感じることがあります。
それくらいの思いでないと釣り合いが取れないと思うことがあります。
だから大切なのは、自分も含めて全ての人が同じような傷つきを味合わないような社会や世の中を作りたい。
それがどういう思いになるかは人それぞれかもしれませんが、ここにこそ殺意が湧くほどの怒りを自分や人のために使っていく道があるのではないかと個人的には感じます。
この辺りは応用編ですが、まず第一に殺意が湧くほどに傷ついてきた自分に対して優しい目を向けて、労わる心を持っていただけたら僕もうれしく思います。
沢山傷ついてこられたあなたが、自分をさらに責めて傷つく必要なんてないって僕は心から思いますから。
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