好きだけどものすごく辛い
例えば好きになった相手に恋人が居る恋。
簡単に諦められたら良いけども、そうはいかないくらい好きになってしまったとしたら、
好きだけど心はとっても辛い恋になってしまうかと思います。
例えば職場などで相手との接点があるとしたら。
絶対に嫌われたくないから好きな人に恋人がいる悲しみは見せずに、
笑顔で関わることを心掛けることもありますよね。
でも職場から離れた瞬間にどうしようもない悲しみが溢れてくるものです。
お相手と会うときに沢山の悲しみを抑え込んで笑顔で居たからこそ、
一人になるとその抑え込んできた悲しみが溢れてきてしまうんですよね。
またそのお相手と直接食事やデートに行く機会があるなど。
より近い接点がある状態だとしたら
抑え込む悲しみの量も増え、一人で過ごす時間の辛さもかなりのものになるはずです。
好きだけど相手は自分を見てくれない。振り向いてくれない。気づいてくれない。
そんな恋は胸を締め付けるようにとっても悲しい思いをせざるを得なくなります。
好きだからその相手に何かしてあげたい。役に立ちたい。愛したい。
そんな切なる純粋な思いがある反面。
時折、恋人が居る相手を好きでいる自分を惨めで馬鹿らしくて、
何やってんだと現実に引き戻されるように虚無感に襲われることもあるかもしれませんね。
惨めな思いを感じれば感じるほど、
誰に相談しても嘲られるように感じやすく一人で抱え込んでしまうことも大きくなってしまいます。
大粒な涙を流しながら自分が惨めだと感じる日々も。
この恋の行き先には振られる未来しかないのではないかと悲観せざるを得ない日々も。
とてもとても心を痛めるものです。
耐えきれないほどの悲しみを感じてしまう辛い日々です。
そんなとき好きで居ることを止めたいと思う反面、
でも好きで居たいと思う強い自分も居るかと思います。
相手を思える強さは本物だとしても、人によってはこれは執着なのかと思い悩むこともあるかと思います。
また自分は重たいのかなと自分の愛情深さを否定的に見たくなることもあるかもしれませんね。
このような恋をしているとき、どのようにしていくことが自分の幸せに繋がりやすいのでしょうか。
愛することは悲しみを背負い込むと感じているかもしれない
このような恋愛の場合。
過去に沢山愛したけど報われなかったという大きな悲しみを、
心の中に抱えていないかという見方をすることがあります。
・父親が単身赴任で居ないことが多く、母は家事に育児に一人で全部やっていた。
でも母はストレスから私や兄弟に当たり散らすことが多く、私は小さなころから少しでも母の支えになろうとしてきた。
でも母から「助かったよ」「ありがとう」という言葉をもらったことは殆どない。
・父親が機嫌が悪くなると母によく当たる人で、母はいつもそれを我慢していた。
私はお母さんの助けになりたいと思っていたが、お父さんの怒りが私にも飛ぶようになったとき、お母さんは私を助けてくれるのではなくお父さんの味方をしていた。
またよく母から「お父さんを怒らせることはしないでね」という言葉を言われることも多く、未だにお母さんのことを恨んでいる自分も居る。
これはあくまで一例ですが、
献身的に支えようとしたり味方で居ようと自分の愛を差し出したけども。
返ってきたのは愛情や安心感ではなく、傷つきや悲しみだった。
そういった体験を通して感じた悲しみや傷つきを心の中に抱えていて、
愛することや誰かを好きで居ることは「悲しみや痛みを背負いながらやるもの」という感覚が、
心の中に残り続けていることがあります。
これが報われない恋を無意識に選んでしまうことに繋がることがあります。
だからこの悲しみや痛みを降ろしてあげることが大切になります。
この恋がより魅力的なあなたを引き出していく
悲しみや痛みを降ろした時に一番感じられるのは心の自由だったりします。
それは好きな人のことを誰が愛することになっても、お相手が幸せであるならば構わないと思う状態。
お相手を愛することで私も相手も幸せになるならば愛し抜く覚悟はある。
でもそうでないならば、この人のことは他の人に任せようと心のゆとりを持てている状態。
元々報われなくとも相手を好きで居る方の場合、相手のことをどこまでも広く大きく、
そして深く愛しぬく覚悟を持たれている方は多いものです。
それは誠実で心の底から繋がり合うパートナーシップを築くために、
とても大切な要素でもありますし。
パートナーが仕事でどれだけ嫌なことがあっても、例え何度喧嘩してもその度に相手を愛することを選び、
お互いにとっても居場所や憩いを作るのがとても上手だったりします。
また悲しみや痛みを溶かした時に良く感じられるのは、自分の愛の大きさや偉大さだったりします。
自分の愛情深さに気付くと纏う雰囲気が大きく変わるんですよね。
それは自分は「あれだけ傷ついた中でも思い続ける愛情深さがあった」と素直に思えるからかもしれません。
例えば自分の愛情深さに気付くと自分の行動範囲が広がることもあります。
それは今まで遠慮していた一人旅やずっと行きたいと思っていた場所に行ける勇気になることもありますし。
ずっとやりたいと思ってたけど、自信が持てなくて見て見ぬふりをしていた職種にチャレンジすることに繋がることもあります。
傷付きの中でも愛せたという体験が自分の堂々さや自信を作り上げ、
今まで「無理」「できない」と蓋をしていたことに踏み出すことに繋がることもあります。
あれだけ報われないと思っていた悲しい恋は、
実は自分の中の本当の魅力や才能に気付くために必要な出来事だったということもあります。
例えばこの恋をきっかけに本当の自分に気付くこともあります。
・実は自分は昔から人が大好きだったことに気付く。
・ずっと諦めていたけど、私がしたい恋は情熱的に愛し合う恋だったのかも。
・昔から多くの人の幸せを願う心やさしい自分が居たな。
ずっと蓋をしていた自分の中に眠る「あれをやりたい」「こう生きたい」「もっと人を愛したい」
そんな思いがこの恋愛をきっかけにして引っ張り出されていくこともあります。
またここまで変化が起きたとしたら、今以上に魅力的になったあなたが居るはずです。
・自分の心の中に眠る本当の思いに素直に生きているまっすぐな芯を持った自分。
・一途に愛し抜ける覚悟を持った強さを、自分の好きなこと望むことのために使えている凛とした自分。
・純粋に好きな人の幸せを願い、「何かあったらいつでもあなたの味方になるよと」やさしく静かに見守り続けられる慈愛深い自分。
そこまでくると、お相手から見ても「魅力的で選びたくなる人」に見えることも多いですから、
そこでまたその人を選ぶのか別の人を選ぶのか決めるのもアリかと思います。
誰かを好きでいることや愛することは悲しみを背負いながらやるものという結びつきが減れば減るほど、
心の自由も人生の自由も増えていくものです。
自分の悲しみと向き合うというのは勇気のいることですが、
このような恋をしている方の場合、悲しみを溶かして自分の愛情深さを気付くチャレンジをする強さを持たれている方も多いですし、
心の癖を変えてより大きな自由を手にしていかれるのだと思います。
少しでも今の毎日がより良いものになることを心から願っていますね。